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【20代会社員の実話】ママ活で恋をした僕。支援関係から始まった本気の感情と別れの記録

僕がママ活を始めたのは、社会人2年目のとき。
給料は安く、仕事は覚えることばかりで、心にも時間にも余裕がなかった。
そんなとき、同僚が「ママ活って知ってる?」と軽く話したのがきっかけでした。

正直、最初は“お金のため”でした。

恋愛感情なんて一切なく、ただ現実的に「生活を少しでも楽にしたい」という思いだけ。
でも、その関係が少しずつ変わっていくなんて、そのときは想像もしていませんでした。

この記事では、20代会社員の僕が経験した、“お金から始まり、恋に変わっていったママ活”のリアルをお話しします。

最初は軽い気持ちだったのに、いつの間にか本気で人を想ってしまった。そんな不器用で少し切ない体験談です。

目次

ママ活を始めたきっかけと出会いの経緯

ママ活という言葉を初めて聞いたのは、会社の飲み会のあとでした。
同僚が「最近、年上の女性と食事行くだけでお小遣いもらってる」と笑いながら話していて、最初は冗談だと思いました。
でも、彼のスマホを見せてもらうと、確かにそんなやり取りがありました。
「俺も、ちょっとやってみようかな」——それが最初の一歩でした。

僕は特別モテるタイプでもなく、恋愛も長いことしていませんでした。
仕事に追われる毎日で、正直、誰かに「お疲れさま」と言われるだけで救われるような日々。
そんなときに“優しくしてくれる年上の女性”という存在が、妙に魅力的に感じたんです。

登録したのは、恋活・婚活でも有名なアプリ。
プロフィールには「落ち着いた大人の方と、ゆっくり話がしたいです」とだけ書きました。
顔写真はスーツ姿のものを選び、誠実さを意識しました。

数日後、メッセージをくれたのは、都内在住の30代後半の女性。
アパレル関係の仕事をしているというその人は、文面が丁寧で、すぐに好印象を持ちました。
最初はアプリ内のメッセージで何度かやり取りを重ね、「よかったら一度お茶でも」という流れで会うことになりました。

最初の印象は、「きれいで、自立した大人の女性」。
でも、話してみると意外にも気さくで、笑うと少し照れるところがあって、そのギャップに惹かれたのを今でも覚えています。
このときはまだ、“ママ活”というよりも“ただの食事”のような感覚でした。

初めて会った日の印象と関係の始まり

初めて会ったのは、渋谷の静かなカフェでした。
土曜の午後、仕事のメールを片付けてから向かった僕は、
緊張でコーヒーの味なんてまったく覚えていません。

彼女は、写真よりもずっと落ち着いた雰囲気で、
控えめなメイクにシンプルなワンピース。
でもその存在感には、年上の女性ならではの“余裕”がありました。

最初の会話は、仕事の話や休日の過ごし方など、本当に他愛のないもの。
でも、話しているうちに不思議と緊張がほどけていって、
気づけば自然に笑えていました。

彼女はときどき真剣な目でこちらを見て、
「社会人2年目って大変でしょ」「無理してない?」と優しく聞いてくれました。
その一言が、心の奥に刺さりました。
仕事でミスをして落ち込んでいた時期だったからこそ、
その“気遣い”がすごく嬉しかったんです。

カフェを出たあと、彼女が「今日はありがとうね」と言って、
封筒を差し出しました。
中には一万円。
「お茶代と、時間をくれてありがとう」と。

そのとき初めて、
「あ、これがママ活なんだ」と実感しました。
でも不思議なことに、
“お金をもらった”というよりも、“自分を気にかけてくれた”という気持ちのほうが強かった。

家に帰る途中も、何度も彼女の笑顔を思い出しました。
ただの大人の女性というより、“温かい人”——
その印象がずっと残りました。

恋愛感情が芽生えたきっかけ

何度か会ううちに、彼女との時間は少しずつ日常になっていきました。
週に一度の食事、他愛もないLINEのやり取り、
仕事で落ち込んだときに「大丈夫?」とくれる一言。
最初は「支援してもらう立場」だったはずなのに、
気づけば僕の方が彼女を頼るようになっていました。

ある日、仕事で大きなミスをして、心が折れそうになったとき。
夜遅くに「話聞くよ」とLINEが届き、
終電近くのバーで会うことになりました。

その日、僕は正直に全部を話しました。
上司のこと、プレッシャーのこと、自分の不甲斐なさ。
彼女は何も責めずに、ただ静かに聞いてくれました。
最後に「あなた、ちゃんと頑張ってるよ」と言われた瞬間、
こらえていた涙が一気に溢れました。

そのとき、僕は初めて“この人に支えられてる”と感じたんです。
それまでの“お金をもらう関係”ではなく、
もっと深い、人と人としてのつながり。

帰り際、彼女がそっとハンカチを差し出して微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥が熱くなって、
「もうこの人のことを好きになってる」と気づきました。

ママ活のはずなのに、いつの間にか恋をしていた。
その事実に、自分でも驚いた夜でした。

関係が深まる中で感じた葛藤と現実

それから、彼女とは定期的に会うようになりました。
仕事帰りに軽く食事をしたり、休日に美術館へ行ったり。

最初は「ママと食事する」という意識だったのが、次第に「彼女と過ごす時間が楽しみ」へと変わっていきました。

彼女もそれを感じ取っていたと思います。

「最近、笑顔が増えたね」と言われたとき、思わずドキッとした。

まるで恋人に言われているような感覚で。

でも、心が近づくほど、同時に“現実”も突きつけられました。
彼女は僕より12歳年上。

仕事も成功していて、自分の世界をしっかり持っている。

一方の僕は、まだ社会人2年目で、貯金も少なく、「支えられる側」のまま。

お金のやり取りがある以上、どこまでが“恋”で、どこからが“契約”なのか、その境界線がわからなくなっていきました。

デートのあと封筒を渡されるたびに、「好きなのに、お金をもらっている自分」が嫌になりました。
彼女の前では笑っていても、帰り道の電車では何度もため息が出ました。

「もし、この関係から“お金”がなくなったら、
 彼女は僕を選んでくれるのだろうか。」

そんなことを考えるようになった頃、彼女の方も少し距離を置くようになりました。
仕事が忙しいと言いながら、返信が遅くなっていくLINE。
僕は焦って、余計に何度も連絡をしてしまいました。
それが逆効果になることにも気づかずに。

恋をしたのに、素直に近づけない。
そんな矛盾を抱えながら過ごす日々が続きました。

別れを選んだ理由と今でも残る思い

最後に彼女と会ったのは、春の終わりの夜でした。
少し肌寒い風が吹く中、いつものようにカフェで待ち合わせをしました。
彼女はいつも通り穏やかな笑顔で、
でも、どこか少し寂しそうにも見えました。

他愛のない会話をしているうちに、
ふとした沈黙のあと、彼女がゆっくりと口を開きました。

「あなたね、きっともう大丈夫だと思うの。」

その一言に、時間が止まったような感覚になりました。
「どういう意味ですか?」と聞くと、
彼女は少し笑って、「最初のころよりずっと強くなったから」とだけ言いました。

帰り際、封筒を差し出そうとした彼女に、
僕は初めて「今日はいいです」と言いました。
「あなたに会いたくて来たので」
その言葉が自分の口から出た瞬間、
彼女の目に少しだけ涙が浮かびました。

それが最後の夜でした。
そのあと、LINEのやり取りは自然と途絶えました。
特別な別れの言葉もなく、
ただ静かに、それぞれの生活に戻っていった。

しばらくの間、彼女の香水の匂いが、
通勤電車の中でふと蘇ることがありました。
思い出すたびに胸が締めつけられるけれど、
不思議と後悔はありませんでした。

彼女が言った「あなたはもう大丈夫」という言葉は、
今でも僕の中で支えになっています。

あの関係は終わったけれど、確かに誰かを想い、誰かに想われた時間があった——
それだけで、十分だと思えるんです。

ママ活を通して学んだこと

ママ活という言葉を聞くと、多くの人は“お金”や“割り切り”をイメージすると思います。
でも、僕が経験したのは、それだけではありませんでした。

確かに、最初は支援してもらう関係から始まりました。
けれど、彼女と過ごすうちに感じたのは、
人と人との関係において大切なのは「立場」でも「年齢」でもなく、
どれだけ相手を想えるかということでした。

彼女は僕に「支えられることのありがたさ」を教えてくれました。
そして同時に、「誰かを支えたい」と思う気持ちも生まれました。
お金をもらっていた立場だった僕が、
最後には“彼女の心に寄り添いたい”と思うようになった。
それは、恋と呼ぶには少し不器用で、
でも確かに“愛情”だったと思います。

この経験を通して気づいたのは、
“恋”と“依存”は紙一重だということ。
誰かを好きになると、つい相手に自分を預けたくなるけれど、
本当の関係は“自立した二人”でしか築けない。

別れは辛かったけれど、あの時間があったからこそ、今の自分があります。
彼女に出会っていなければ、きっとまだ誰かの優しさを「お金の価値」でしか見られなかったかもしれません。

今でも、あの頃の自分に言いたい。
「その出会いは間違いじゃない」と。

ママ活の先に“人としての愛情”を見つけた

僕がママ活を始めたとき、目的はただひとつ——お金でした。
生活を少しでも楽にしたくて、現実的な理由だけで始めた関係。
でもその中で、思いがけず“恋”という感情に出会いました。

お金をもらう側と、与える側。
そのはずだったのに、気づけば心の支えになっていた。
不器用で、報われない恋かもしれないけれど、
あの時間があったからこそ、僕は人を本気で想うことの意味を知りました。

ママ活という言葉には、どうしても偏見がつきまといます。
けれど、どんな形であれ、人と人が出会い、支え合うことには価値があると思うんです。
彼女との関係は終わったけれど、
その経験は今でも、僕の中で“優しさ”として残っています。

恋は終わっても、感謝は消えない。
それが、僕のママ活体験で得た一番の教えでした。

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